なた豆歴史コラム

物語の中のなた豆

  • 人間味あふれる兵六の冒険譚「大石兵六夢物語」

    • 人間味あふれる兵六の冒険譚「大石兵六夢物語」

      近世の薩摩を代表する戯作文学として挙げられるのが、「大石兵六夢物語」という作品です。
      書いたのは毛利正直という下級武士で、西郷隆盛や大久保利通などが住んでいた加治屋町に生まれました。毛利正直がこの作品を書いた天明四年(1784年)、薩摩は八代藩主・島津重豪が商業と文化振興に力を入れた開化策を行った時代であり、それに便乗するかたちでちまたには権力者や小役人が横行し、善良な民衆を苦しめていました。
      「大石兵六夢物語」は拝金主義にうかれる小悪人を悪狐にたとえて風刺した作品であり、登場人物を通して語られる社会批判は読み手の共感を誘います。中期江戸文学としての高い評価を受け現代語訳版の書籍も出版されるなど、いまも広く読み継がれています。

      その作品になた豆はどのように登場するのでしょうか。
      主人公の大石兵六は、あるとき狐が化けた女に誘惑されます。そのときの兵六の心の動きが、なた豆を含む4種類の豆にたとえられています。「4種類の豆」というのは女性を暗示しており、兵六はいずれの豆も好物であり、なにしろ自分は生身の男であるのだからと、誘惑にのるかのるまいか大変迷います。いかにも人間くさいところに好感が持てますが、兵六は結局女の誘いを振り切りその場を逃げ出します。
      4種の豆のなかのひとつを原文では「たちはけ」と表記しています。これはたちはけ=タッパケのことで、なた豆を表しています。物語にも登場するほど、なた豆は江戸時代の薩摩では親しまれていた食材であったといえるでしょう。

      大石兵六夢物語 著者:毛利 正直 翻訳:西元 肇

      舞台は薩摩、大石内蔵助の子孫とされる大石兵六(架空の人物)が、人々を化かす悪い狐を退治に行くという江戸時代の冒険物語。
      兵六は意気軒昂に狐退治に出掛けるものの、さまざまな妖怪に化けた狐たちに散々な目にあわされてしまう。狐たちは妖怪だけでなく、兵六の父親や高名な和尚、絶世の美女に化けたりするたびに、やすやすと騙されてしまうのが面白い。坊主頭にされたり、肥溜に落とされたりと兵六は大変な目に会い落胆するが、最後は狐2匹を捕えて帰る、というストーリー。
      セルバンテス著のドン・キホーテを彷彿とさせる、薩摩のボッケモン(大胆で向こう見ずな性格の人物)を主人公とした江戸フィクションの名作。